ご縁いただきました沢山の皆様に御礼申し上げます。
住職継職法要 表白
2003年11月3日
敬って西方不可思議尊、阿弥如来ならびに、宗祖親鸞聖人の御影前に白してもうさく、慈光寺門信徒、有縁参集の道俗と共に、恭しく尊前を荘厳し、ねんごろに聖教を拝読して、当山慈光寺報恩講ならびに住職継職法要を勤修したてまつる。それおもんみれば、大正の水端、専修門に入りて其の正意を聞きし篤信の門徒数輩、花車町傍近の在所に庵を結べり。明治の中葉、名古屋駅開業の当所において、移り住むものはなはだ多きに、なりわい盛んなれども、それ地縁の親近すくなし。うちわたす血縁の故郷は遠方にして、巷に温故の寺院あれど新参入り難く、頼みとせんは信心同一の近隣儕輩なり。同心同行の希求せんは、先祖代々の菩提を篤く弔わんための伽藍なりけり。ここに衆生利益の宿念、慈光庵主 伊藤大乗と門人達請をして、西柳町に基をかまえ、西柳山慈光寺と号して堂宇建立せしむるなり。参集の道俗、大安慰を帰命せざるなし。大乗の嫡子俊静、初代住職に就き精励せしよりこのかた、報恩講の勤め七十年を経たまえり。濫觴爾来の相承、浅学非才の我が身なれば、はなはだ能わざるべし。能わざれども与うるは、浄土の大慈大悲、法類の恩情これにたり。相伝これを略するところなれど、遺訓(前々住)の中あらわれたり。無常薄俗の世なれば、是の縁尽きることあるべし。しかれども会者定離は常のならい、今始めたるにあらず。なんぞ深く歎かんや。浄土の再会はなはだ近きにあり。先に生れて後を導かんと。慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。深く先徳の恩厚を仰ぐばかりなり。
浄土和讃に曰く、
慈光はるかにかぶらしめ
ひかりの至るところには
法喜を得とぞのべたもう
大安慰を帰命せよと。
希わくは如来哀愍摂護して、慈光寺三世有縁の道俗の念佛相続うるわしく、倶会一処の法喜を分かたんことを 慈光寺四世住職 釋教信 敬って白す